どうも、SHINGOです。
実は、多くのインストラクターが、ある思い違いをしているんですね。それは、ヨガ歴、インストラクター歴だけが、ヨガの先生として発揮される経験だと思っていること。
ここだけで考えると、資格取り立ての先生なんて、生まれたてのヒヨコ扱いになっちゃいますけど、でも、これまでに生きてきた経験があるじゃないですか!忘れてませんか?思い出してください!これまで、色んなことを学んでいて、経験していて、感じていて、考えて、そういった確かな時間があるじゃないですか?
そういうと、経験年数=年齢で年齢が高い方がスゴイってことになっちゃいますけど、、、でも!ここ重要。
「私」というキャラクターをやってるのって”あなた”しかいない。
一人だけぶっち切りで、経験年数が高いの!あなただけが、あなたのベテラン!プロ!他の人は、永遠に未経験者。あなたの独擅場分野!
そういったことを、まっさらにしてヨガスクールで習ったこと、WS、TTCで学んだ、その一部分だけで勝負しようとしている。
※便宜上、勝負と使っています
そうしたら、どういうわけでしょう?個性もなくなり、みんな同じ先生になって、生徒からしたら、違いがわからない存在になって、違いがわからないから、違いがハッキリしているところへ行くしかない。有名な先生、人気な先生、実力のある先生、キレイな先生、優秀な先生、雑誌やTVで取り上げられた先生のところに行くしかなくなる。。。
だって、行ったことないお店に行くときにぐるなびの見るんですよね?レビューが高かったら安心していけるんですよね?それと同じことが起こってるだけです。これは、ヨガと自分がごっちゃになっている状態。私が、私から別存在のヨガインストラクターという存在になっちゃった。という症例です。
ヨガは、あくまでもツール。ヨガインストラクターもあくまでもあなたの中の一側面。あなたとヨガは別々です。同一化してしまわないように注意してください。
これをSHINGOは、カイヴァリャと読んでいます。ご存知ですか?ヨガでは、解脱した状態のことカイヴァリャ(独立・独存)と言います。プラクリティ(ヨガ)からプルシャ(私)が独立した状態です。同一視からの卒業〜(尾崎豊風)
ヨガの人って、悟ったら終わりとか思っていますが、その続きがあります。それぞれ独立した存在だと自覚=サマーディ(悟り)からその先です。ちなみに、僕は悟りのその先を知りたかったから、ヨガをやめたんです。
分離したものであると自覚することには、メリットがあるんです。別々のものが出会った時、化学反応が起こります。「私」とヨガのコラボが起こり始めます。「私」×ヨガ=無限大の可能性。オリジナルヨガにだってなれる。でも、みんなヨガインストラクター×ヨガ=ヨガをやろうとしているんです( ̄∀ ̄;) これが、多くのヨガインストラクターが思い違いをしていること。皆さん自身がないようで、自分を消してしまってるんですね。ヨガを消臭スプレーのように使って、、、
僕は、そんな生徒さんの「私」とヨガがコラボしているところを見てみたいんです!
※SHINGOのメルマガ『多くのヨガインストラクターが思い違いをしていること』(2019年2月3日発行)より引用
編集:いわさきあつひこ