目次
パタンジャリの経典ヨーガ・スートラに書かれているイーシュヴァラ(神)について
ヨーガスートラには、イーシュヴァラ(神)について全195節の内の10節ほど書かれています。
アーサナ(ヨガのポーズ)については、なんと3節しか書かれていません。第2章46節~第2章48節のみです。
ヨーガ・スートラの20分の1がイーシュヴァラについてです。
ヨーガスートラを読んでみると単体で10節も使うのは結構なことのように思います
以下がイーシュヴァラについての10節です。
[aside type=”normal”]ヨーガ・スートラ
【第1章23節】あるいは、イーシュヴァラへの祈念によって。
【第1章24節】イーシュヴァラとは意識の特別な形であり、煩悩、業、業報、業遺存に影響されることのないものである。
【第1章25節】イーシュヴァラは、すべてを知っている点でまさるものがない。
【第1章26節】時間の制限をうけることがないイーシュヴァラは他の師たちにとっても師である。
【第1章27節】イーシュヴァラの表現が、聖音オームである。
【第1章28節】オームを繰り返し、その意味への想念がなされなければならない。
【第1章29節】この実践によって内なる自己を知り、障害はなくなる。
【第2章1節】クリヤー・ヨーガは、苦行、自己の探求、イーシュヴァラへの祈念から成る。
【第2章32節】清浄、知足、苦行、自己の探究、イーシュヴァラへの祈念が歓戒である。
【第2章45節】イーシュヴァラへの祈念によって、サマーディは成就する。[/aside]
第2章1節はクリヤー・ヨーガという実践に関して、第2章32節はアシュターンガ・ヨーガの実践に関してなので含まない方が正しいかもしれませんが、それでもアーサナの3倍近くはあります。
インド哲学六学派
インドには哲学六学派というものがあります。ヨーガ哲学、サーンキヤ哲学、ヴェーダンタ哲学、ミーマンサー哲学、ヴァイシェーシカ哲学、ニヤーヤ哲学です。
その中で、唯一、イーシュヴァラ(神)について言及しているのがヨーガ哲学なんです。
もともと、ヨーガは実践のみで、哲学としては確立していませんでした。そこにサーンキヤ哲学にイーシュヴァラを足してヨーガ哲学にしました。なので、ヨーガ哲学は有神サーンキヤ哲学とも呼ばれています。
サーンキヤとは、簡単に言うとこの世の仕組みについてを語っているものです。
この世界は、25個で原理から成り立っていてそれで説明で着るんだと云っています。。
25個と言っても、ひとくくりにすると
『1つ』と『1つ(24個)』です。
『プルシャ』と『プラクリティ』です。
大きいくくりにすると『2つ』なので二元論って言われています。
プルシャはそのままで、プラクリティは風呂敷を広げると(パリナーマ:展開)されると23にもなります。
このプラクリティこそが、この世のすべてと僕たち(心や精神や肉体も含め)を構成しているとしています。
そしてプラクリティは、プルシャに『体験』と『解脱』という2つのさせるために存在しているということです。
ゲームに例えると、ゲーム(プラクリティ)は、プルシャ(プレイヤー)にゲームを遊んでもらう事(体験)とゲームクリア(解脱)をしてもらう為に作られたというわけです。
「ゲームはユーザー(プレイヤー)の為にある。」byヨーガ・スートラ第2章21節
しかも、これって1人で遊んでるっていう感覚よりも、みんなで同じゲームをして遊んでる感覚に近いんです。
プレイヤーAがゲームクリアしてもプレイヤーBがクリアしてない限りゲームは依然として存在してるんですよってヨーガ・スートラ第2章22節に書いてあるんです。
この感覚は、今までのスーファミとかのゲームをイメージするよりも、オンラインゲーム。いわゆるネトゲのイメージの方が断然近いです。
さて、この『プルシャ』と『プラクリティ』の二元論に追加されたイーシュヴァラ(神)
なんかとってつけたような感じですが、一説にはヨーガは解脱への実践体系であるクリヤー・ヨーガとアシュターンガ・ヨーガとは別に、サーンキヤ哲学で知識の解脱(ジュニャーナ・ヨーガ)を神への献身による解脱(バクティ・ヨーガ)を取り込み、幅広く解脱できるようにしたとも言われています。
あくまでも解脱という目的の為の手段としてイーシュヴァラの存在を認めたとも言えますが、なんにせよクリヤー・ヨーガにしろアシュターンガ・ヨーガにしろイーシュヴァラ・プラニダーナ(神への祈念)という実践が含まれている。
実践体系にしても神は不可欠な存在になっているようです。
イーシュヴァラとは、どんな神なのか?
イーシュヴァラとは、自在神と訳されることがあります。
その時、ヤハウェやアッラーやイエスやブッダ、クリシュナやトイレの神様だろうと、自分が信じている神についてを指します。
自分が信じている神が自在神です。
ヨーガというものは宗教ではない。というスタンスが通念としてあり、いかなる宗教にも属さないヨーガは、誰にでも開かれたものであるとする。という信条を持つため、自在神というのは、とても便利なものとも言えます。
ちなみに、イーシュヴァラは、ガネーシャ神とかクリシュナ神、ラクシュミー神とかインドの神様のようなキャラクター化されたものではありません。それを個人が神としているならば自在神としてはOKです。
[aside type=”normal”]おまけ
日本の神様で○○天と付くものはインド由来の神
帝釈天(インドラ)
韋駄天(カールティーケーヤ)
弁財天(サラスヴァティー)
吉兆天(ラクシュミー)
大黒天(シヴァ)
etc…[/aside]
神は存在しないとする無神論者と言及しない者
無神論者とは、神なんているもんか!とハッキリと否定する人です。
ちなみに、ブッダは無神論者でもなく、神について論じたくない者でもなく、言及していない者です。悟りに忙しくて神について語る暇がなかったのか、肯定することも否定することもなかったようです。しかし、ただ単に避けていたわけではないようです。
他のインド学派も神を否定していたかは定かではありませんが、言及はしなかったようです。
実践的ヨーガがヨーガ哲学として確立するために採用したサーンキヤ哲学は、この世界の仕組みについて語るものでした。もしかしたらサーンキヤ哲学は、そこだけを語りたい哲学だったのかもしれません。
まとめ
アシュターンガ(八支則)のニヤマ(勧戒)にイーシュヴァラ・プラニダーナ(神への祈念)について書いてありますが、ワークショップなどで八支則について語られても、サラッと流されてしまいがちです。ブッダは、『無記』としましたが、ヨーガは神についての存在をしっかりと認めているものであり、サーマディへ至る為の手段として記しています。
神となると、宗教やセックス並みにタブーになるし、愛や魂といった言葉のようにともすると怪しげなものが付いて回るモノのようになってしまいますが、しっかりと意識を向けて学びを深めると決して、敬遠するものではないということがわかります。
決して後戻りできなくなることもないので、安心してヨーガの学びを深めていってくださいね。
辞書
・ヨーガ・スートラ「YOGA SUTRA」・・・ヨーガ根本経典。ヨーガ哲学の教典。
編纂者パタンジャリ「Patanjali」。有神サーンキヤ哲学とも呼ばれる。由来は、ヨーガ哲学も含まれる六派哲学のひとつサーンキヤ哲学とほぼ同じだからである。唯一の違いはイーシュヴァラ(神)の存在を容認しているところである。ヨーガの哲学=サーンキヤ哲学+イーシュヴァラ。ヨーガの実践=クリヤー・ヨーガ、アシュターンガ・ヨーガ(ラージャ・ヨーガ)
全4章195節。※全196節とされているものもあるようです。例:インテグラル・ヨーガ パタンジャリのヨーガ・スートラ。英語のWikipedia等。3章が55節+1節になっている。
第1章.サマーディ・パーダ「Samadhi Pada」・・・三昧章。51節(51スートラ)1-1~1-51
第2章.サーダナ・パーダ「Sadhana Pada」・・・実践章。55節(55スートラ)2-1~2-55
第3章.ヴィブーティ・パーダ「Vibhuti Pada」・・・超自然力章。55節(55スートラ)3-1~3-55+1
第4章.カイヴァリャ・パーダ「Kaivalya Pada」・・・独存章。34節(34スートラ)4-1~4-34
・クリヤー・ヨーガ「Kriya Yoga」・・・行為のヨーガ。ここでは、苦行。自己の探求。至高の存在への祈念を指す。クリヤー・ヨーガにはほかにもシャット・カルマ(6つの行為)の体を浄化するもの、タントラ・ヨーガの微細な肉体の浄化を指し、視覚化、マントラ、呼吸を意味する。または、マハー・アヴァター・ババジ(Maha Avatar Babaji)のクリヤ・ヨーガを指す。
・アシュターガ・ヨーガ「Aashtanga Yoga」・・・八支則のヨガ。ラージャ・ヨーガ「Raja Yoga」(王、貴族)ともいう。アシュタガ・ヴィンヤサ・ヨガはシュリ・クリシュナ・パタビ・ジョイス師が体系化した八支則に基づいたヨーガである。
・イーシュヴァラ「Isvara」・・・神。至高の存在。自在神。主宰神。神霊。主霊。
・イーシュヴァラプラニダーナ「Isvarapranidana」・・・神への祈念。帰依。身を委ねること。
・アーサナ「Asana」・・・ポーズ。坐法。
・パーダ「pada」・・・章。支柱。木の根。足、脚。一行。足を使うアーサナ、パーダングシュターサナなどがある。
・スートラ「sutra」・・・節。糸。紐。簡単な規則。ヨーガ・スートラの他にブラフマ・スートラなどがある。
・シャッド・ダルシャナ「Sad Darsana」・・・六派哲学。シャッド(六)ダルシャナ(哲学)※下記順不同
1.ヨーガ「Yoga」・・・開祖:パタンジャリ、経典:ヨーガ・スートラ
2.サーンキヤ「Samkhya」・・・開祖:カピラ、経典:サーンキヤ・カーリカー
3.ヴェーダンタ「Vedanta」・・・開祖:バーダラーヤナ、経典:ブラフマ・スートラ
4.ミーマーンサー「Mimamsa」・・・開祖:ジャイミニ、経典:ミーマーンサ・スートラ
5.ヴァイシェーシカ(Vaisesika)・・・開祖:カナーダ、経典:ヴァイシェーシカ・スートラ
6.ニヤーヤ「Niyaya」・・・開祖:ガウタマ、経典:ニヤーヤ・スートラ
・プルシャ「Purusha」・・・アートマン。純粋意識。観照者。見る者
・プラクリティ「Prakrti」・・・根本原質。見られるもの。以下のものが展開されれる(順不同)
→ブッディ「Buddh」・・・またはマハット「mahat」心理器官。認識器官の根源
→アハンカーラ「Ahamkara」・・・自己感覚。自我意識
→パンチャ・タマートラ「Pancha Tanmantra」・・・五微細元素(声・色・香・味・触)
→パンチャ・ブータ「pancha Mahabhuta」・・・五大元素(地・水・火・風・空)
→ナマス「Manas」・・・意、思考器官
→パンチャ・ブッディ・インドリヤ「Pancha Buddh Indriya」・・・五感覚器官(眼・耳・鼻・舌・皮膚)
→パンチャ・カルマ・インドリヤ「Pancha Karma Indriya」・・・五行為器官(発声・把握・歩行・排泄・生殖)
・エーカーダシャ・インドリヤ「Ekadasha Indriya」・・・十一器官。ナマスとパンチャ・ブッディ・インドリヤとパンチャ・カルマ・インドリヤ
・パリナーマ「Parinama」・・・展開。転変。